琉球王朝の史跡
首里城(那覇市)、守礼門(那覇市)、園比屋武御嶽(那覇市)、玉陵(那覇市)、
琉球王国のグスクおよび関連遺産群
首里城とその周辺の琉球史跡
首里城(しゅりじょう)

琉球王国のグスクおよび関連遺産群に登録
首里城は琉球王国の栄華を物語る歴史的な建造物であり、1879年まで琉球国王の居城として王国の政治、経済、文化の中心的な役割を果たしました。
2000年に「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」として世界遺産に登録されました。
2019年の火災で本殿部分などが焼失しましたが、城の外郭や内郭の門が焼失を免れ、首里城をしのぶことができます。
2026年の復元を目指し修復の途中ですが、その復元作業を直に見ることができるので現在も多くの見学者でにぎわっています。
また、城の地下には80年前の沖縄戦を指揮した陸軍第32軍司令部壕の遺構があり、現在は埋もれていますが、首里城の復元に伴い、近い将来壕の入り口の一部が公開される予定となっています。
首里城の案内と合わせて沖縄戦の実相や第32軍に関する説明も行います。
園比屋武御獄石門(すぬひゃんうたき)

1519年尚真王により創建されました。
沖縄戦で大破しましたが、古材をできるだけ使い、石材、工法も昔のままに修復され今当時の姿を取り戻しました。
日本、中国の両様式を取り入れた琉球独特の石造建造物で木製の門扉以外はすべて木造建造物を模して石造に彫り込んでいます。
この御獄は、王国時代には国家の祭祀場であり、国家安泰の祈願や国王が巡行の安全祈願などが行われ、王国の精神的な拠り所として重視されました。
守礼門(しゅれいもん)

守礼(しゅれい)」とは「礼節を守る」という意味で、門に掲げられている扁額(へんがく)には「守禮之邦(しゅれいのくに)」と書かれています。「琉球は礼節を重んずる国である」という意味です。
中国風の牌楼(ぱいろう)という形式で建立されています。
1527~55年 第二尚氏4代目尚清王(しょうせいおう)に初めて建立され、1933年(昭和8)に国宝に指定されましが沖縄戦で破壊されました。
1958年に再建、1972年(昭和47年)5月12日に「旧首里城守礼門」として沖縄県指定有形文化財に指定されています。
沖縄観光のシンボルとして2000年には2千円札の図柄に採用されました。
玉陵(たま うどぅん) (那覇市首里)

国宝に指定された琉球王の墓
玉陵は琉球王朝第二尚氏歴代の陵墓で、1501年、第三代尚真(在位50年)王が父尚円を改葬するために創建されたと言われ、内外二重の郭からなる大規模の陵墓です。
2018年、沖縄の王墓としてまた貴重な建造物であるとして国宝国に指定されました。
沖縄県内で建造物の国宝指定は初となります。
沖縄戦で甚大な被害を受けましたが、1974年から3年余りの歳月をかけ修復工事が行われ、往時の姿を取り戻しました。
資料館もあり、玉陵内部の様子を模型で見ることができます。
※要入場料